自分史ブームの訪れとともに、伝記執筆の需要は高まっています。
伝記制作の困難な点は、当事者が執筆する場合どうしても主観的になりがちで、
正確な記述ができないことです。
第三者の目というフィルタを通じて情報を整理し、客観的な構成を立案し、執筆に入ることが、歴史を正しくわかりやすく残す完成への近道と言えます。
私が強く意識するのは“自伝後のお客様”です。
自伝を制作し、私家本を配布したり出版ルートから流通させたりしたお客様は、その後の人生模様に何らかの変化をきたします。多くの場合、それは喜ばしいことです。
いままでお客様の中でこのようなことが起きています。
ギクシャクしていた家族関係が改善された。
送付した旧友と再び交流が始まった。等々。
このような個人的なケースの他、もう少し大きい話になると……
地元紙に取り上げられた。
専門分野でテレビ番組のレギュラーを得た。
創業者のイメージが向上し企業買収の一助となった。等々。
こういった貴重な瞬間をお迎えするお手伝いをし、立ち会えることの光栄にこの上ない代筆家冥利を感じます。
もともとセルフブランディングを意図するお客様もおられますが、いずれにしても自伝の効果は想定外に大きくなる場合があります。自伝自体は振り返るものですが、新たに切り拓くものでもあるのです。
ゆえに私はこのように思っています。
「自伝は、書き記したその後を意識して著すもの」
自分史は単なる記録ではない――意識が違えば書き方が違ってきます。書き方が変われば言霊の力も変わってきます。その霊威の根本はお客様ご自身に存しています。
私は代筆家としてお客様のお志を伺い、執筆を通じて増幅し、一冊にまとめる、いわば「お取り持ち」の役割なのです。
「その後を意識」して書く自伝ですが、実制作ではご依頼者様の過去の地道な振り返りが重要となります。つまり取材です。
自伝づくりは取材が9割です。もし「筆力で何割増しにでもします」というライターがいたら、レトリシャンの矜持は認めても、お客様の歴史に対する冒涜者です。
綿密な取材には時間が掛かります。取材はただ拝聴するだけのものではありません。
まずはお客様に過去についてお語りいただきます。私はそれに質問し、いただいた回答を吟味します。そこで生じた疑問や情報の不足分について改めて伺います。読者層を意識する場合、言葉や考え方を時代に合わせてエンコードする必要もあります。このような同意についても、制作上のコミュニケーションとして取材に組みこまれます。
こうした緻密なやりとりを何度か繰り返すのが取材です。
このように申し上げると、ちょっと面倒で大変そうな感じを受けられるかもしれません。しかし、ご依頼者様は取材進行を代筆家に一任し、問われるままに楽にお答えいただければよいのです。
その過程において、新たに思い出したこと、未解決のままにしていたこと、あとあと「こういうことだったのか」と気付くことなど、自分を知る機会にたびたび出会うでしょう。こういったことは、一人で人生を振り返っていても得難いものです。取材に応えながら人生を噛み締める喜びに浸っていただければ幸いです。
取材回数・頻度はお客様によって様々です。ご所望の自伝の形態やボリュームによって増減します。取材方法も、お伺いして対面するケース、スカイプなどリモート会議形式、お電話、メールなど、お客様のご都合に応じます。対面を憚られる方もOKです。ご希望をお知らせください。もちろんお問い合わせ・ご依頼は完全に秘密です。安心してお問い合わせください。
ひと口に「個人史」と言っても様々です。自分自身の伝記以外にも、
・ご両親や友人など【他人の伝記】を書く場合
・会社組織に所属していて【リーダーの立志伝】を担当する場合
・人間以外、【会社の沿革】や【団体の歴史】
仕上げ方も、一冊の本にする場合もあれば、宣材プロフィール的にペーパー1枚程度にまとめる場合など、用途に応じて様々です。
どのパターンも対象の経歴を細分化し基礎から組み直す作業が求められ、時間と労力がかかります。それにもかかわらず、苦労して仕上げた個人史が浮薄で冗長な代物になったら目も当てられません。
しかし、多くの個人史が、かえって当人の魅力を損なう残念な結果になっているという、悲しい現実があります。
原稿制作には、長年蓄積した独自の個人史ノウハウがあります。ご依頼者様のご希望を丁寧にうかがい、解きほぐし、対象にとって最適な個人史のあり方を定義し、唯一無二の個人史を制作いたします。
プロを起用すれば文章は平均以上で、制作進行も効率的です。また、客観性を得られることも想像に易いでしょう。以下、客観性について自著の一節を引用します。
個人史制作は当人謹製であれ第三者の手によるものであれ、史実の解釈に筆者の感覚が混入せずにはいられない。しかし私は、それは別段悪いことではないと思っている。なぜなら史実とは、確かに過去の一時期に起きたことだけれど、その解釈は必ずしもその時ではなく、多くの歴史上の出来事が後世に評価を決定づけられるように、個人史を制作しようとするまさにその瞬間決定されて構わないからだ。つまり、時空を超えてその史実に触れ、なにがしかの思いを抱いた全ての人に、解釈を持つ資格があるのである。
もっとも、個人史に書かれる当人に解釈の全権を任せるのは危険である。史実にあまりに近すぎるからだ。客観性を欠くだけならまだしも、無意識のうちに事実を歪めたり、全体の整合性を破壊したりする恐れがある。
こういった弊害を免れるために、個人史制作に第三者の介入を、つまりゴーストライターの起用を図るのは有効である。
(中略)
個人史は共著だ。どんな人物がゴーストに選ばれるかで、作品の出来が違ってくる。当人とゴーストの世代が違っていたりすると幅や豊かさは大きくなる。ベテラン芸能人のライターに若い人物が起用されるのは、そういう仕上がりを意図しているのかもしれない。
残念ながら、こういった恩恵は、自分自身で筆を執る個人史執筆にはあらわれない。史実に対し幅も厚みもなく、単なる「出来事」と「A」でしかない。そこに一滴の客観性もささやかな議論もないため、思うように読者の理解を得られない危険が想定される。
客観性のフィルタとして、自分の過去についての自分以外の解釈者として、作品づくりに長じているゴーストライターを登用するのは、賢明な判断であると思う――。
(『本気で自伝・自叙伝・自分史を考える人のための 読ませる個人史のつくりかた』より「ゴーストライターを起用するメリット」について)
自分史づくりに関して、業務ノウハウをまとめた自著がございます。筆名“あいあおい”名義の方法論です。ご興味のおありの方は、ぜひお手元にお取り寄せください。
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